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50代早期退職は未知数の上に成り立っている

 こんにちは ロンです! 登山のようなもの 仕事をしなくなってからもう3年目に突入しましたが 意外と順調に物事が進んでいる印象です やはり計画性なんでしょうか…? とはいえそんな大層な計画ではないんですけどね… なにより50代早期退職は年金受給までの期間さえ乗り切ればなんとかなる気がします 50代にとって年金受給は遠い未来というより10年もすれば受給できるので 計画性というより登山をしているような気にさせます… 一年一年を進んで行けばいずれは到達しますからね ざっくり2000万円だろうか…? 50代早期退職と言っても50歳と59歳では9歳も開きがあります もちろん59歳で早期退職した方が少ない資産で年金まで乗り切れそうです しかし59歳早期退職っていうのも さほど早期退職というほど早期なのかな…とは思いますけどね… まあ70歳くらいまで雇用延長することを考えれば今の時代では十分早期退職と言えるのかもしれませんけどね… (昔に比べ…スゴい世界線になったもんだ) とはいえ50代早期退職というのは計算が成り立ちやすいというのは間違いない 計画性はそこまで必要ない気もするし意外と無計画でもイケる気もする… そうは言っても自分の人生をそんな無計画な状態で乗り切る人は稀ですからね… もう少し自分に対して納得できる根拠が欲しいところですし 仕事を辞めた未来を信じられる拠り所が必要でしょうね 早期退職するような人はほぼ投資なんかに手を出しているはずなので 最終的に自分の資産がどのくらい拡大するのかは未知数です なにより資産が縮小するかもしれないのが投資です そして早期退職後は生活のための資産の切り崩しもしないといけませんから 意外と不安定ですね… 私も株価の暴落期間が5年くらいなら耐えられる気もしますけど 10年も暴落が続くようなら自分がどうなってしまうかぜんぜん分からない… なにより10年も株価が低迷する世界線がまったく分からない… (世界大戦とかめちゃめちゃ怖い…) なにしろ嫁ちゃんだっていつまで働くのか分からないですからね… つまりは私の早期退職計画のすべてが未確定の上に成り立っているわけですよ 計画性なんて言ったところで世の中の出来事に対しては 基本的に受け身なだけですからね 台風なんかの災害と同じで 嵐が通り過ぎるまで耐えてみるだけです とはいえ年金受給まで耐えき...

早期退職した時からの心境の変化

 こんにちは ロンです! なんだか不思議な感覚… 早期退職をしてからの心境の変化は自分でも驚くほど変わっていきます 思えば早期退職したばかりは母の介護もあったし子供達と一緒に暮らしていたけど 今となればもう誰もいない…  なにしろ住む家も変えてしまいましたしね あまりの変わりように『ホントに自分の身に起こった出来事なんだろうか…?』なんて不思議な気持ちにさせてくれます… 『露と落ち 露と消えぬる わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢』という豊臣秀吉の辞世の句を思い出しました… 50代早期退職は人を変えてしまう… そんな私は子供達とも気軽に連絡を取り合うような人間ではない  もともと子供なんかに依存をしていないのです 今となると昔をぜんぜん思い出さないので『ホントにオレって子供がいたのかな…』なんて思ってしまうほどです…(もうボケてんのかな…?) やはり暮らしを別にしてしまうと家族ではあるけれど今までと同じ家族では無くなるんですよ もう別々の道を進み始めたんですよね… 今では心の中で『元気に生きていてくれれば良い』と願っているだけです なにしろ若い子供たちとこれから老いていく我々とでは歩く歩幅が違う… それを踏まえた上での早期退職で 子供たちの自立なのです もともと段階的に早期退職後の生活を考えていて まずは私が仕事を辞めても最低限の生活がはできるであろうくらいの資産額を目標にしました しかしあくまでも早期退職して現金収入が無くなっても生きていけるであろうという最低限の資金の確保です 本当はあと2年くらい働いて資産形成の底上げをしたいと思っていたんですけど 当時の私はもう精神的に限界でした… そのくらい私は追い込まれていて1秒でも早く仕事を辞めたかったんです… そこで当時の私は給料で底上げできなかった資産形成を自宅売却で得たお金で補うことを思いつきます なにより自宅売却は老後に向けた生活コストの削減にもつながりますしね  一石二鳥です そして自宅売却して得たお金が年金受給までの生活費になるはずだったんですけど 今は嫁ちゃんが働いているからすぐに資産を切り崩さなくても大丈夫なんですよね… 早期退職前に考えていたシュミレーションは良い方へ上振れしたわけです まあ今回はたまたま良い方へ上振れしたわけですが 場合によっては悪い方へ下振れする時だってあるでしょうけどね…...

意外と優越感に浸っている

 こんにちは ロンです! 最近の私のルーティン 最近の私のルーティンにお散歩というのが加わりました 正確にはお散歩しがてらの買い物なんですけどね… 今までも日用品や食料の買い出しは私の担当だったんですけど 今は嫁ちゃんが車通勤になってしまったので私には『足』が無いんですよね… なのでヒマがあればちょこちょこ買い物散歩に出かけて日用品などを補充しているんです とはいえそれが嫌だというわけではない むしろ『足』が無い方が良いとも言えるんですよね… 買い物がてらのお散歩 退職後は筋トレをずっと続けてこれたし 自分のカラダを鍛えるのはさほど苦ではないです なにしろ無職になって以来 筋トレの頻度を上げてきていますからね 今ではほぼ毎日筋トレをしています 筋トレをやらないと落ち着かなくなってきているんですよね… もちろん私だってダルくて眠い時だってある そんな日だってせめて筋トレだけでもしてみたら なんか今日を頑張った気になるじゃないですか… ある意味ダメな日の過ごし方をしてしまった時の免罪符が筋トレになっているのですよ 今はもう夏本番と言える気温なので散歩しに行くにしても超暑いです しかし私は暑いのはそこまで苦にならないタイプ… 日中の一番熱い昼過ぎくらいに買い物に行きます 近所には何箇所か徒歩圏内で買い物できる店があるんですが 一番遠くても往復1時間程度です これがちょうどよくて良い運動になりますね しかしこの気温のせいか ぜんぜん人なんか歩いていない… 街を見渡しても車の中で休憩しているドライバーくらいしか人間を見かけないです まあ好き好んでこの暑さの中を散歩してるのは私くらいのもんですよ しかし意外と優越感を感じながら闊歩しているんですよ だって街には誰も歩いていないような一番熱い季節の一番熱い時間帯に散歩する選択をしているんですよ こんなのなにも縛られていない無職だからできることです 打算的に考えたらこんな過酷な時間帯を選ぶわけがない… 損得を気にせず自分で選んだからこそ 猛暑の中を歩いていても優越感に浸れるわけなのです そんなわけで嫁ちゃんが車通勤になったというのが 私にとっても良い循環になっているんです なにしろバイク通勤していた嫁ちゃんのバイクを 私が乗る事ができないというのが大きい 私にバイクの免許があれば確実に嫁ちゃんのバイクに乗っていくところですけ...

会社依存の弊害なんだろうな…

 こんにちは ロンです! 不憫でならない… 定年退職後の生活をネット記事を見かければたまに見ています なんかしらの老後のヒントがあれば良いな…と思っているんですけどね… しかし大概はフィクションだと思うんですけど 毎回毎回不幸な結末が多い… そしてこの構図はずっと昔から変わっていない なぜネット記事の定年退職後の生活エピソードは不幸なのか? (とくに旦那さんの方…不憫でならない) 定年退職したら最後… 転落人生の記事しか見たことがないんですけどね… ほぼ老後の成功例を見たことないです… 庶民には素晴らしい老後は無いんですかね…? 定年まで働く意味 なにしろ何十年も一生懸命働いてきたのに 定年後は何一つ報われていないというのが救いが無い… 新卒からなら40年働いているんですよ それが定年退職を迎えれば40年間を全否定されます むしろ旦那さんの存在すら全否定という地獄絵図… お決まりのように 長年に渡り家庭を顧みずに働いてきたことを後悔し…家事を覚え始めるお父さん… しかし家族との溝は埋まらない… 定年退職した後の生活が一番惨めになっているのが切なすぎる… もしこれが世の中の大多数のお父さんのリアルだとしたら 定年まで働く意味ってあるんですか? 数十年に渡り辛酸を舐め続け 理不尽な人間関係やストレスに耐え続け…それでもカラダにムチ打って65歳まで働いてきたのに… こんな結末しか用意されていないのですよ… ネット記事が本当ならね… 記事の真偽は別としてもこういったネット記事が多く出回るのは 基本的に日本人特有の未来に対する不安が影響しているんですかね…? 日本人は未来予測でも明るいことを言えないんですよ ニュースでもネット記事でも とにかく不幸な未来を想像させたいのです 何故なら不幸な未来に備えることが啓蒙活動になっているし 人生の目標になっているんですよ 不幸な未来を想像するのはつまずかない人生のためには良いのかもしれませんけど それが豊かな人生になるのかは甚だ疑問です なにより人生に多少のつまずきは必要ですよ つまずきが無ければ気づきもないのです… まあネット記事なんかを完全に鵜呑みできるわけではないですけど 40年ちかく働いて悲惨な老後ビジョンしか提示できないのであれば悲劇としか言いようがない… 投資のリスク分散でもよく言われますけど 自分の人生の生きがいを...

何年経っても嫌な記憶は身近な存在

 こんにちは ロンです! 基本的に嫌なことが多い 私は無職になって理不尽やストレスをかなり取り除くことができたと思います しかし人間生活から悩みは消えないし 基本的に生きているということは嫌なことの方が多い… でももしかしたら『嫌なことを思い出す時の方が多い』のかもしれませんね 例えば『今日は最悪な日だな…』という日はありますよね その嫌なこととは24時間の内の1時間の出来事だったりします 24時間の内にはご飯を食べたりお風呂に入ったりもしますし 良いことは少ないかもしれませんが悪いことばかりが起きているわけでもない… しかし人間は嫌なことが起きた1時間で一日気分を害してしまうし その1時間が一生忘れない苦しみになるのかもしれない 人間は嫌な記憶に縛られ続けてしまう生き物なんですね… 過去を書き換える それくらい嫌な経験というのは心に残るしダメージは消えない しかし嫌な記憶や経験は未来の危機回避に繋がるので 良くも悪くも人間の生存本能なのでしょうね… 私も早期退職してから3年目に突入しましたが 意外と過去の嫌な記憶というのは身近な存在です 無職の私は普段の平日は一人でいることが多いので なにかしらを考えている時間が長い その時には過去の嫌な記憶に囚われている瞬間もあるわけです あの時受けた屈辱が今さらながら鮮明に思い返される時だってある… 今の私は理不尽やストレスは遠ざけることに成功していますが それでも過去を完全に振り切るのは難しい なにより自分の意識を今ではなく過去に置くから余計に苦しいのです でも人間の脳は意外と騙されやすいので ポジティブなことを考えていると楽しくなってくるし やはり自ら過去を思い出さないことです あとは記憶を改ざんすることですね 意識的に過去を書き換えることをすると 記憶が曖昧になってきたりしますよ そのテクニックは人それぞれでしょうけど 『オレって昔からツイてるよな』って毎日思うだけでも良い とにかく過去を思い出さずに明るい方向に気持ちを持っていくのです なにより無職になるとストレスは確実に少なくなるので 意識的に過去と決別することができます まあそれでも数年掛かりますけどね しかし絶対に過去を風化させることはできるのです 早期退職をしてからも 子供達に自立を促して別々に暮らし母の介護も終わった そして今は住んでいた家も売りに出し...

長生きリスクの最前線にいるのは誰だ?

 こんにちは ロンです! 新たなリスクと恐怖 私も早期退職して3年目になりましたけど 思いのほか充実した(?)無職生活を送ることができています 早期退職した当時は自分に無職の適性があるのかは未知数でしたから ある種の怖さがありました なにしろ30年以上も働いてきてしまったので 仕事を辞めた後の想像ができないんですよ しかし今考えてみると無職の適性はすでにあったように感じます そうなると今度は新たなリスクや恐怖を感じてしまう自分がいるのですけどね… 無職こそ長生きリスクがあるのか…? 早期退職した当初はチャレンジと称して 『1週間家から出ない』なんてことをしましたが 今となれば1週間くらい家に居ても普通のことですからね… 早期退職する前の私は病気以外で1週間も家にいたことが無かったから さも凄いことを達成したかのように感じたもんでした なにより病気で家にいる時しか比較対象がないから 家に1週間もいると体力が落ちてしまう気もしていたんですよね しかし今の私は体力な衰えはほぼ感じない… むしろ最近は筋トレの頻度を上げたので腕なんかは前より太くなったと思います なにしろ現役時代は筋トレなんかしてなかったですしね 家事をしていると立ち仕事が多いし 意識的に片足立ちなど負荷を掛けることもできます 工夫次第で引きこもりでも体力維持は可能だと思いますよ ただカラダを動かすことが嫌いな人もいるし なにより継続できるかが重要ですからね…  継続的な運動は万人にできることでもなかったりします 幸い私は筋トレを努力だと思っていないし 毎日のようにやらないと気分的に気持ち悪いんですよね 今は体力的には維持できているし 食事も自炊で気をつけているので健康問題はそれなりにクリアしていると思います 無職になると引きこもり気味になるのは容易に想像できますから 筋トレは最重要項目です しかし無職適性と筋トレは直接の関係は無い 健康を見据えると筋トレは最重要なのかもしれませんけど 無職を見据えると筋トレは必須項目ではない 筋トレ出来るから無職で居られる訳じゃないのです では無職適性とはなんなのか…? 最近薄々気がついていたのですが やはり自分から無職生活を選択するような人間はある種の変態なのですよ… だって世の中の大多数が働くことを選択しているのに 働かないことを自ら選択しているんですよ 変態は...

実はもう辞めている…

 こんにちは ロンです! 変わらないルーティン 嫁ちゃんも転職したばかりなので少しルーティンが変わりました 転職のたびにルーティンの変更を余儀なくされてしまう… もうこれで何回目だろうか…? しかし私の場合はブログ更新がありますからね 今は朝の8時に更新しているのでここだけは変えないようにしています その他の時間はすべて嫁ちゃん基準に合わせるしかないので 転職をするというのは色んなところにしわ寄せが出てくるもんです… 最速の退職 そんな転職したばかりの嫁ちゃんですが 実はもう仕事を辞めてしまいました 数日働いただけで見切りを付けて会社を辞めてしまったのです… 今までで最速の転職ですね 辞めた理由は面接で言っていた内容と実務がまったく違うのが原因です これがあるから転職は怖い… 今までも嫁ちゃんは転職してきましたが 面接時に言っていたことと契約を結ぶ段階で提示してきた内容が違うというケースが多いんですよね 契約の際にそこは気を付けていたんですが 今回は見事に引っかかってしまったようです まあ昔の就職なんかは面接した時の口頭だけの説明だけしか無いとこもあったくらいだし… それに比べて今の時代は細かく契約内容が書いてありますからね  でもまだまだ面接時に聞いた業務内容と 契約して働いてみてからの業務内容の差に開きがあるようです とはいえ嫁ちゃんはその業務内容を受け入れるわけもない… なによりそんな我慢なんかしない人間です とっとと仕事を辞めてしまいました これでまたしても無職ですよ… しかし週明けには新しい職場に行くんですけどね… これがスゴい… 嫁ちゃんも今回の転職先に対してなにか引っかかっていたのか分かりませんが 実はもう一社内定をもらっていたところをキープしていたんですよね… まあ今回の転職は面接だけでも10社以上はしてましたしね… 意外とこういうところがクレバーというかずる賢い… でも私にしてみれば『たくましい』というのが一番ぴったりきますけどね… なによりこれこそが働く自由だし辞める自由ですよ 嫁ちゃんの真骨頂と言って良いでしょう(転職のプロ…) 日本の企業の中には今だに一度そこで働いたらそれが重大な契りのような捉え方をしているところがありますからね それこそ会社を辞めた人は裏切り者呼ばわりですよ 私からすると狂っているとしか思えない… しょせんは生きる...

無職が長引くと価値観がぶっ壊れる

 こんにちは ロンです! 色々なものがぶっ壊れる 早期退職してみると色々な価値観が壊れていきます それは無職期間が長くなればなるほど 今までの既成概念が壊れていく… しかしそれも無理からぬこと… だって社会人になった大人の基本的な行動である働くことを辞めてしまうんですからね そりゃ価値観だってぶっ壊れます しかし仕事を辞めたその先には何があるんだろうか…? 無職プライド 無職生活が長くなると自分に対する自由を守ろうという意識が強くなります もう誰にも自分の行動の制約や規制をされたくないし 誰の意見も聞きたくないし言われたくない! この先の人生は自分で決めた自由を守りたいのです ではその自由とはなにか…? もしかして昼寝することだったりとか…? それもあながち間違いではない… 今の自分が昼寝をしていても誰にも文句を言われる筋合いがない だってどこにも属していないのだから… 今の私は何をしても文句を言われない状態であるけれど この生活を続けて行くには自分の責任である必要がある しかしこれ以上の自由はない この自由という意識が強く持てていれば無職生活に自信も出てくるのですよ 今までの人生は人との駆け引きや打算もあった そのためには自分の気持ちを隠したり自分にウソをつくことだってある… 働いて生きて行くには少なからずこういった行動は必要なのです しかし私からするとそんな日常が不自然で違和感だらけだった 今ではそんな過去が気持ち悪い… あの時の私は何と戦い何を守ろうとしていたんだろうか…? たぶんありもしない自分の居場所だったと思いますね… 今の時代は情報が溢れかえっている なにをやっても逆張りの意見がありますから まず正解がなにか分からない… ありもしない居場所探しをしている当時の自分には 何が正解だったのだろうか…? そんな自分の居場所も分からない自分には正解なんかどこにも無かったのでしょうね… しかし今の自分にはその正解がある 早期退職が出来るくらいになると『選択肢が増える』なんてよく言われます  たしかにそれは合っています しかし選択肢が増えたことが正解だったのか? 間違いではないけど選択肢が増えるだけではまだ甘かった… 正解は選択肢の主導権は自分が握っているという実感が大切だったのです この自分が選択権を握っているという実感が自分の人生をコントロールしている...

早期退職をした後悔

 こんにちは ロンです! 後悔はない… しかし時間が経つのが早い… 自分の人生でこんなことが起きるとはまったく予想が付きませんでした それもこれも早期退職できたおかげです そんなわけで早期退職したことをぜんぜん後悔していませんが 人によっては早期退職をしたことで後悔する人もいるんですよね… よくそんなネット記事を見かけます やはり人の感じ方ってそれぞれなんですね… 私には後悔する意味がまったく分かりません 早期退職のメリットはただ一つ 50代早期退職をして後悔をした…という原因には『資金的にショートしてしまった…』という失敗エピソードはあまり聞いたことがないです やはり50代くらいになると年金受給までの逆算がかなりリアルにできますからね 緻密な計算をしなかったとしても年金受給までの期間は短いので なんとか乗り切ってしまえばそこまで大失敗も起きにくいのでしょう しかし人によっては1億円あっても早期退職するのに躊躇してしまうので リスクの感じ方というのも影響してくるでしょう つまりは自身の内面の問題という側面が強い まあ私はそこまで心配する方ではなかったし 今は嫁ちゃんも働いていますしね なにより早期退職計画は何年もしてきたので 自分の中でも早く早期退職したくて堪らなかったくらいでした では早期退職をしたことにおける後悔とはなんなのか…? ネットで調べてみても 社会との繋がりや時間の使い方…あとはやりがいを失うことが後悔に繋がるようです… 資金的なことよりも無職生活におけるメンタルの方が失敗を招き寄せると思われます しかしこれも早期退職の後悔とは直接の関係がないような気がします だって早期退職しようがしまいが 定年まで働けばいつかは退職するわけです そうしたらいずれは社会との繋がりも無くなるしやりがいだって無くなるでしょう なにより仕事を辞めたらあとに残るのは膨大な時間だけですよ ようするに早期退職でも定年退職でも 遅かれ早かれ無職になるのです やっぱり早期退職した後悔なんていうのは問題の先送りなんですよ 仕事に依存していたら定年退職してからだって後悔するに決まってる なにより早期退職のメリットとは自分が一番若い時に膨大な自由時間が手に入るということに尽きる 膨大な自由時間が待っているからこそ仕事を辞めるのです 自由時間に翻弄されてしまうからこそ『早期退職した後...

悩みが引っ掛かっている状態

 こんにちは ロンです! 毎回ルーティンの変更をしている 早期退職してからは母の介護や子供達の自立…そして自宅売却に向けてマンションまで買ってしまいましたしね… なにより度重なる嫁ちゃんの転職があったので毎回ルーティンが変わってきました これじゃぜんぜんルーティンが安定しない… それでもブログと筋トレだけは欠かさずやってこれました この先ブログはネタ切れする恐れはありますが 筋トレだけはカラダが動くうちは一生やって行きたいもんです まあブログもまだまだ続けて行きたいですけどね… 悩みを抱えたままどう過ごせるのか…? 私はこの先の人生をガチガチに守りに入ってしまうよりは すこしの変化を取り入れるくらいの余裕を持ちたいとは思っています なによりこの先の人生は現状維持をしたいと思うことは危険だと思っているくらいです かと言ってなにか新しいことにチャレンジするということでもないんですけどね ようは自分にとって常に良い環境に身を置くようにしたいわけですから 小さなアップデートし続けなければいけないということです まあ日々精進ですね… 今の私の悩みはもっぱら自宅売却くらいです できることなら早く売れてくれれば良いとは思います なにより『今の金額で売れんのかな…? 早く売れてお金欲しいな…』といった自分だけではどうにもできないもどかしい気持ちを抱えたままですからね 意外とこの喉元に突っかかったような中途半端な感じは気持ち悪いもんです しかし思ったところで自分には何もできない… 家を買ってくれる人が出てくるまでこの気持ちは続くんでしょうね… でも反対に売れない状態でいることも人生の経験としては悪くないと思っているんです 自分の思い通りにいかない出来事をどうやって自分の中で整理できるか…? ここが人生の醍醐味といえるわけです 生きているとすべての悩みをクリアすることは難しいですし 悩みが喉元に引っ掛かっている状態でどれだけ幸せに生きていけるかが重要だったりします つまりは悩みを抱えつつ日々の幸せを感じられるようにしないといけないわけです なによりそういった我慢などの経験は自分の精神的な耐性や許容度を上げてくれますからね 早期退職をするのもそうですが ある程度のリスクを取ったり我慢をしている状況に自分自身を慣らしておかないと安心感はいつまでも出て来ません それこそ自宅売却や投資...

長生きしてしまう恐怖

 こんにちは ロンです! 初めての病院で検査 先日健康診断に行ってきました 今までは毎年同じ場所で健康診断を受けていましたが 今回は地方に引っ越しをしたので初めて診察をする病院で検査をしてきました とはいえ私はそこまで検査をしたいわけでもない… もちろん健康でいたいですし そのための健康維持や筋トレは積極的にしています でもカラダの中って自分じゃ見えないじゃないですか… 自分では見えないものを気にしすぎるというのも少し違和感というか…私の生き方とは違う気がするんですよね なによりカラダの中のことは『知らぬが仏』というか… 生きていればいつかは寿命がくる… 寿命が来るまでの間は筋トレなんかをしてカラダが動けるように自分で注意していくことの方が私にとって重要なんですよね なのでカラダの中はあまり興味がないし ある意味諦めているのです 今回はまあまあだった 思えば早期退職した最初の年の健康診断は結局やらずじまいでした なんか退職したばっかりだったし面倒くさかったんですよね… しかし去年は市からくる無料の健康診断をやってみました しかしなんのオプションも付けずに完全無料の健康診断だったので 私の感覚的には身体測定とあまり変わらない検査内容だと感じました… 正直なところ時間をかけて病院に行ったりしているのにあの程度の検査内容だったら もう少しお金を出して検査項目を増やせば良かったと後悔したくらいです… なので今年は検査内容を少しグレードアップをしてみました 以前受けていた健康診断の検査内容はバリウムやレントゲンに心電図といった内容が含まれていましたが 今回はバリウムは含まれていないオプションを付けました なんかバリウム飲むと体調が悪くなるんですよね それに私は一日一食なのであまり快便と言えず… バリウムの体内に滞在する期間が3日近くなってしまうのも気がかりでした… しかし健康診断や人間ドックを受けても健康でいられるかは分からないですしね… だって私の数百倍お金を持っているような著名人でさえ私より先に亡くなってしまったりするんですからね… ここが一番私が引っかかるところなんですよ… 私の数百倍の資産があれば寿命だって数百倍…は言い過ぎですけど せめて倍くらい長生きして欲しい… しかし現実には倍どころか私の年齢まで生きられない… つまりはお金があれば長生きできるという保証...

社会に馴染めない人生は意味がないのか?

こんにちは ロンです!   まあ…それでも良いのか… 『なぜ人生や仕事に意味を見出しそうとしてしまうのか…?』  そんなネット記事を見ましたが 『人生に意味なんかない… 仕事なんかは生活するためだ…』というような人も多いですね たしかに仕事だけが人生ではないですが 人生の大半の時間を捧げる仕事が無意味であると断定してしまうと その人の人生自体も意味がないことになってしまうでしょう まあ…それでも良いのか… だって人生に意味はないと主張されているんですからね… 否定してしまえば希望はない 私も今ではすっかり仕事をするのは嫌ですが そこまで仕事を全否定するような物ではなかったです やはり仕事をしないと生きていけないという図式になっていますしね なにより人生を無意味なものとして捉えてしまうとすごく悲しいじゃないですか 私は早期退職をしたくらいですから 仕事というものを見限ったわけです しかしそれはあくまで仕事をしている会社であって仕事自体を否定しているわけでもない そして仕事を辞めた自分の人生を見限ったわけでもない 世の中には素晴らしい仕事だってあるし むしろダメだったのはそれを商いとしている会社だったと思いますね なによりそんな社会のシステムに馴染めなかった私が一番ダメだったのでしょうね つまり社会に馴染めなかっただけで 人生や仕事に意味があるとか無いとかの話しじゃないんですよ ただ単に自分が世の中に馴染めていないだけの問題を人生や仕事の意味という問題にすり替えているだけなのです そもそも人生の意味なんかを論じたところで答えは自分の中にしかないのです ただ人生は仕事だけじゃないと今は分かる… 仕事を放棄した先には 意味のある人生が待っているかもしれないんですよ… 私なんか早期退職を選択せざるを得ない状態になったのに 今だに人生に意味を持たそうと思っているくらいですからね なにより『人生に意味がない』なんて人生を全否定するようなことを考える意味こそあるんですかね? そんなに生きていることを全否定しなくても良いじゃないですか? 人生は意味があるから幸せだって存在する 意味がないと空虚な時間だけが自分の人生になってしまう こんなことを考えるほうが よっぽど意味なくないですか? なにより自分の人生のピークがいつ来るなんて誰も分かりませんよ それこそ50代なんかはいずれは...

欲望のコントロールと計画性

 こんにちは ロンです! 物を増やすのは簡単だが物を減らすのは難しい 私は特別ミニマリストというわけではないですが あまり物を持たないタイプです そしてそれは引っ越ししてからさらに加速したように思います なんせ引っ越しって荷物を無くすには最大のチャンスですからね 元から少ない荷物をさらに厳選してきました  なにより今は専業主夫ですから 物がない方が圧倒的に掃除しやすいので 極力床に物を置くことはしません そうなると必然的にミニマリストっぽくはなっちゃうんですよね これもパーキンソンの法則か… しかしそれは私に限っての話しであって嫁ちゃんはミニマリストなんかとは違う… 引っ越す前にも口うるさく言ってはいたんですけど 今のマンションに移ったら『自分の服は自分のクローゼットに収まるようにするように』って約束をしていたんですよ 自分の部屋以外の余っているクローゼットもあるので せめて収納できる範囲内で自分の洋服を入れるように言っていたんです しかしいざ引っ越してみると 自分の部屋のクローゼットに収まらない服がある その服をいつの間にか私の部屋のクローゼットに服を掛けていたので 私は嫁ちゃんに自分の部屋の収納に入れるように言いましたが 嫁ちゃんは『服を掛けられる場所が余っているからいいじゃん』って言うんですよ そりゃ私の部屋のクローゼットは多少の余裕が残っている… しかしそれでは約束が違う… まあこうなるのは引っ越す前から予想できていたんですけどね… やっぱ無理だったか… 私は自分の部屋のクローゼットに嫁ちゃんの服を入れることは断固拒否しましたが やはり嫁ちゃんは物を捨てられないし物を最大限まで… むしろそれ以上の物を保有してしまうわけです それに嫁ちゃんは物欲強めの人間ですしね でもこれは嫁ちゃんが『変』って訳では無い…むしろ普通です やはり人間は『お金 物 空間 時間』でさえも あればあるだけ使ってしまう… これもパーキンソンの法則なんでしょう 人間は意識しないと確実に物を増やしてしまうし 使える物は全部使うようにできているのです つまりは物を増やしたり使うのは簡単なのですよ それこそ欲望のままにすれば良い… だからこそ物を減らすというのは簡単ではない 物を減らすというのは如何にして効率を良くしたりとか 機能性を考えないと減らすことはできない 計画性が伴わないとい...

これなら無職生活を続けられそう

こんにちは ロンです! 今では家事が楽しい 私も専業主夫になって3年目になりましたけど 専業主夫のやり方に正解はないので 最初の頃は嫁ちゃんの見様見真似でした それがだんだんと自分のオリジナルを付け加えてくるわけです そして新しく家を変えると完全に私のオリジナルの家事になります  今ではそんな家事が楽しい これならまだまだ無職生活を続けていけそうな気がしますね 丁寧に生きている 人間が生きていくかぎり毎日続いていくのが家事 これは自分でやらなくとも誰かのお世話になっても同じ 人間は家事をやらなければ一日たりとも生きていけない… しかも家事が疎かになればかなり生活の質は下がるでしょうね なにより仕事はいつか終わりがきますが家事に終わりはない 洗い物が終わった…そう思ってもコップでお茶でも飲めば洗い物が出る 専業主夫の立場からするとキッチンのシンクまでキレイにしたのに すぐ洗い物が増えるとイラッとします でも嫁ちゃんにも専業主夫になったばかりの時に言われたんですよ…『いつまでも終わりがないのが家事だよ』って… 今ではつくづくこの言葉の意味が身に染みます だから家事こそ人間の絶対にしないといけない仕事と言えるわけです 私は家事にやりがいというか仕事としての価値を見出したので無職生活が全然飽きないのかな…って最近思っているんですよね なによりこれこそが丁寧に人生を生きているんじゃないのか? よくセレブみたいな女子とか意識高い系の雑誌なんかで『丁寧に生きる』なんてタイトルが書いてあっても 50代のとっつあんには一ミリも関係ないと思っていました しかしこれだけ身の回りの家事をしていると 丁寧に生きているな…と思えるんですよね もちろん家事なんかはテキトーにすることもできます しかしあまりテキトーにやらずラクをしないで淡々と家事をすると 暇は無くなるしそこまで退屈にはならない なによりキレイにすることで気持ち的にもシャキっとするんですよね 私もマンションに引っ越したばかりの時は 戸建てと違い家の中に階段は無いし 部屋と廊下は段差無しで繋がっているのでお掃除ロボットを買おうかな…と思ったんですけどやっぱりやめました  だって私から家事が奪われてしまったら空いた時間で何をするのだろうか? AIが人間の仕事を奪う…と言われますけど お掃除ロボットに仕事を奪われた無職の専業主夫だ...

転職を重ねる危うさと安定感

こんにちは ロンです! 夫婦そろって無職(仮) 今回の転職劇もなんとか無事終わりました これで最後になれば良いと思いますけど まあ期待するだけ無駄でしょうね… 嫁ちゃんは来月の1日に新しい会社に変わるので それまでの数日間は連休になっているんです 無職とは少し違うのかもしれませんけど 転職するまでの待機期間中なので夫婦そろってダブル無職(仮)状態なのは間違いない… そんな夫婦無職(仮)状態ですが 二人でコンサートに行ってきました 言える余裕がある時は言っておきましょう コンサート時期と無職期間がたまたま重なってしまったんですけど 久しぶりのコンサートだから嫁ちゃんはテンション高めです 嫁ちゃんはコンサートに向けてマツエクに行っていました しかしマツエクって具体的になにをするんですかね…? 付けまつ毛みたいなもんでしょうか? 興味がないから何をするのか分からない そしてそれを嫁ちゃんに聞く気もなければ調べる気もない… まあそれを知ったところで50代の無職とっつあんになにか関係あるわけもなし… 知らないままでいいかな… 『ただいま〜』 マツエクを終えてウキウキで家に帰ってきた嫁ちゃんは私に対して目を何度もパチクリさせています マツエクが終わってキレイになった目元をアピールしているのでしょうけど… 正直なにが変わったのかまったく分からない… (なに…目にゴミ入っちゃった?) しかしそんなベタなことを言って嫁ちゃんの気分を害しても意味がないですからね 私もテンション高めに『かわいい!!かわいい!!』を連発しといてあげました 嫁ちゃんもそれを聞いて嬉しそうなので私は(ああ…今日も一つ善行を重ねたな…)と思いました まあかわいいのは本当だし かわいいには種類があるんですよ… だから私は何一つ嘘は言っていない… なにより自分の気持ちに余裕がないと言えないですからね 褒められてイヤな人間はいないし 褒め言葉を言える時には積極的に言ってあげよう… こういう褒め言葉は夫婦円満の秘訣ですよ 今は転職の待機期間中なのでコンサートに行った次の日も休みだし 帰り時間を気にする必要がないので嫁ちゃんもすごく楽しそうです なにより嫁ちゃんは転職回数が多いので定期的に大型連休をしている気がする… 今年のゴールデンウィーク前も嫁ちゃんは仕事を辞めたので 有給消化とゴールデンウイークがくっついてかなりま...

同レベルの人と勝ってもしょうもない

 こんにちは ロンです! 昔はそんなのなかったな… 近年よく言われる表現で『勝ち組負け組』というのがあります 昔はそんな言葉は無かったと思いますが今ではわりと普通になってしまいましたね しかしなんの基準で勝ち負けをしているのか定かではないし 人間のある優れた一面だけに光を当てて『勝ち組負け組』と断定するのは乱暴過ぎる気がします それに自分の人生ですから自分で負け組だとかは思わない方がいい 自分でそんなの認めちゃダメです かと言って自分で勝ち組と思うのも少し傲慢な気がします 勝ち負けなんかそんなもんです 人間社会はほんの少しの差で勝った負けたを繰り返します しかし今ではそんな些細な勝ち負けはあまり意味がないように感じます 特に仕事を辞めると今までの勝ち負けや自分の感じていたコンプレックスすらどうでも良くなる 今となれば社会で生きて行く上での勝ち負けなんかそんなもんですよ そもそも私は勝ち組負け組ということはあまり意識したことはなくて 常に自分目線の基準で生きて来ました なにより世間と比較してしまうと超低スペックな私は確実に負け組に振り分けられメンタルがやられてしまうので 早々に世間と比べることをやめてしまった それに早期退職してしまうとホントに世間と比べることが下らなくて意味がないことになります なにより今は自分の力で生きていかなきゃしょうがないですからね こうなるともう無職として生きていけるだけで勝ちですよ 無職になった私には他人と比べる勝ち負けの世界はもう無いですし 他人と勝ち負けするのはもう十分です なによりその勝ち負けをしてきた相手っていうのは自分と同じようなレベルの人間ですからね 人間は同じようなレベルの人間としか勝負できないのです そんなヤツにちょっと勝ったからといって喜んでいたのが 今まで働いてきたことなのかと思うとホントに下らない… そしてその下らないことに随分と心をすり減らしてきたんでしょうね… まあ人間が集まる場所というのはどんな場合でも絶対に政治力が働く…  それが無意識だとしてもどちらが上だ下だと勝ち負けはあるのです ようはサル山と同じ… これが人間の本能であって人間も動物なんですね しかし今は自分で生活を守らないといけないわけです そういう意味では他人との勝ち負けより 自分の人生を変える方がよほど難しいと実感しています やっぱり勝ち負...

いずれ復活出来ない時がくる…

 こんにちは ロンです! 確実に減っている 先日はすこし体調を崩しました すこし寝込むくらいで次の日は復活できたので 大した問題ではないんですが その時ふと… 『今回は病気から復活できたけど いずれ復活できない時がくるんだよな…』って気付いたんですよね それこそ寿命ってヤツですが 50代にしてみるとその言葉の意味がより深くなってくる… その寿命っていつ来るんだろうか? まあそんなのは誰にも分かりませんけど 50代であれば確実に残り時間は少なくなっています やっぱり時間は有限なんだとつくづく感じますね 治ることが前提… 私も50代ですからまだまだ生きていくつもりです だから病気になっても『治ることが前提』になっていますし 少々の病気が治らないなんてことは一ミリも思っていない… しかしいつかはその前提も覆される時がくるでしょう やはり人生で一番怖いのは『治る前提』が覆された時なんですよ 健康であればあるほど『治らない』時のショックは計り知れない… 周りの50代で病気によってリタイアしていく人もちらほら出てくるのを見聞きしますしね いずれは私もそうなるかもしれない… 私も50代早期退職をすることができたので すこしは人生の良い時間を過ごすことができましたけど まだもう少し生きていたい… 別にもの凄くやりたいことがあるわけでもないんですが 自宅売却も残っていますしね つまりはまだ資産形成のピークを味わったことがないんですよ やはり自分で定めた資産形成のピークというのは一度達成してみたい これで今亡くなってしまっては『夢半ば…』という感じがします あとはせっかく掛け続けた年金ももらってないですからね 一度は年金くらいもらって不労所得を味わってみたい… しかしそう自分の都合よく行かないのが人生… 自宅売却だ年金だの…すべてお金絡みなのが私らしいですけど やっぱりお金欲しいんですよね(笑) よく老人の後悔で『もっと若いウチにお金を使えば良かった…』というのがあるじゃないですか じゃあ『後悔してるなら老人になってからだってお金を使えばいいじゃん』とはならないですよね それに若いウチにしかできないことってある なにより老人になってからだとすべての機能が落ちているし 若いウチの経験がないと老人になったってお金の使い道だってわからないんですよ 人生にとって大きな出費と言えば衣食住...

無職の自己投資

 こんにちは ロンです! 7社じゃなく10社以上 昨日のブログでも書いた通り…嫁ちゃんはもの凄い勢いで面接をしまくっています 昨日のブログでは面接が7社と書きましたが 今もまだ面接の予定を入れているので10社は超えてくるみたいですね…  しかも平日も面接を入れているので 面接のために会社を遅刻して行くみたいです… (凄い…) とりあえず面接を受けられるだけ受けてから次の就職先を決めるらしいので つまりは会社からの面接を受けていても 実は嫁ちゃんが相手の会社を面接をしているようなもの… 選択権は嫁ちゃんにある しかしこういった選択肢の自由というのもあるのんですね 勉強になるな… 無職に自己投資は必要か…? 嫁ちゃんは自分で環境を変えることに積極的ですし 嫁ちゃんにしてみればこれも一種の自己投資なんでしょう… それに比べて私はなにもしていない… そもそも無職にできる自己投資なんかあるんだろうか…? 今さら無職がスキルアップや人脈づくりはあり得ないし必要もないです なによりそういった自己投資は現役時代にもろくすっぽして来なかった… 自己投資って言葉の意味が広すぎるので 具体的に何をすれば良いのか分かりません ですが自己投資とは決してお金だけの問題じゃないのですし 現役時代とは切り離して考える必要がある 私のような50代早期退職になると現役時代にあったコンプレックスなんかは無くなりますしね 仕事を辞めることですべての苦しみから解脱することが出来ると言っても過言ではない…(注:過言です) だってどこにも所属してないし… そんな無職に現役時代と似たような自己投資をすること自体に意味は無い たぶんフリーランスよりフリーですよ ちなみにフリーランスって 言葉ほどフリーな気がしないです フリーランスは立派に一人で仕事をしているわけだし めちゃめちゃ社会と繋がっている 私のような無職おじさんと同じ『フリー括り』にされたらフリーランスの人が可哀想です まあ自由というのも方向性や程度の差がありますからね 無職の場合は自由というか 糸の切れたタコのような自由さですからね そのまま浮いていられるのか…それとも螺旋を描きながら墜落していくのか…正直分かりませんしね そもそも糸の切れたタコって自由って言うんですかね? しかし仕事をしていない時点で社会とのしがらみはほぼ無くなるから現役時代に...

経済的自立と早期退職

 こんにちは ロンです! タイミング的には良かった 私の場合は50代早期退職になったわけですが 事情はともかく仕事を辞めるタイミングは良かったと思います 遅かれ早かれ50代は定年というものが見えてきますし いずれは老後に突入して行くのです なにより50代まで仕事をしてきたので もう十分頑張ってきたと思いますしね 頑張って燃え尽きたから良かったんだと思いますね 経済的自立は良いとは思うけど… 経済的自立をして早期退職をすることをFIREと呼びますけど 経済的自立はともかくとしてあまり早期退職にこだわるのも弊害があるんじゃないかと思います まあ50代で早期退職した私が言っても説得力ゼロですけどね でもFIREだけが目標ではその先の人生ってなにをするんですかね…? 人間は衣食住が満たされただけでは満足出来ないようになっていますよ けれど仕事をしたくない気持ちは分かります… それでも仕事を辞めた後の生活になんにもやることがないのでは すぐに飽きちゃうのは目に見えてます そして飽きちゃった先の生活はどうやって退屈をしのいでいけるのか…  退屈した生活でも楽しいと思えるかが重要になってきます なにより仕事を辞めた世界は平坦なのです 自分でなにかをしなければ何も起こらない…退屈な世界だと認識すべきです そして平坦なクセに病気になったり不安になったりと 痛みや苦しみは普通に日常に落ちている この部分だけは無職になっても取り除けないし 人によっては悪化する… 痛みも苦しみも感じつつ永遠に続くかのような時間を所有しているのが無職生活の本質ですよ 私もそうだったんですけど 早期退職後の生活って実際やってみないと分からないんですよ… そして無職生活を経験してみると暇を埋めるだけの多趣味である必要もない 私なんか毎日を家事とブログくらいしかしていないし あとは筋トレをし終わってボケ〜っとしてるだけですよ でもあんまり飽きない… というより日常って少し暇くらいでちょうどよくないですか? 今までの人生は忙しかったし社会の理不尽も十分味わったので 今の暇な生活がぜんぜん飽きませんけどね… そして私はドラマや映画も見ないしゲームもしない… いわゆる娯楽の類はショート動画やネット記事くらいしか見ない あとは自分のアタマの中で脳会議してブログを書くくらいです 食事も一日一食ですから食の楽しみすら...

老後は誰でもセミリタイア状態?

 こんにちは ロンです! 老後はむしろ楽しみ 私も50代なので老後というのもそろそろ見えてきます しかし老後不安というのはあんまりないです なにより年金をもらうのが楽しみなくらいです 年金を貰えばお金の心配はないし むしろ計画通りと言える 人生は思い通り上手くはいかないですけど 確実に計算できる年金はありがたいです そんな年金が入る老後がなぜ心配なのか…  私にはまったく意味が分からないんですよね… 現役時代の方が働かきゃいけなくないですか? 『老後は収入がなくなる』と言われますし それが老後不安に繋がっているのでしょうけど なんで『収入がなくなる』と言われるのか分からない… 年金をもらえるようになるとお金が入ってくるんじゃないですか? 年金って確実に入ってくるお金ですよ しかも働かずとも入ってくるお金ですから不労所得と言って良い こんな良いことはないです 私には不労所得を持っていない現役時代の方が大変だと思うのですが ニュースなどは労働収入がなくなる老後の方が大変だという… ここがいまいちよく分かんないんですよね… 労働しなくても年金という収入があるんですよ? 労働収入しかない現役時代の方が悪くないですか? それこそ働かなくなったら完全に収入は途絶えるし そもそも働く前提というのは確実な収入ではない  いくら順調に会社勤めをしていたとしても なにかしらのアクシデントで躓いてしまえばそれを簡単にリカバリーできないでしょう? 現役時代はなにがなんでも働かなくては生活ができないですからね… 私には現役時代の方が後ろに道がない気がするんだけどな… まあ老後不安には国民年金と厚生年金という問題はあるでしょうけどね でも30年以上働いてきた厚生年金であればそこまで老後って不安になりますかね? そもそも国民年金だけで生活が苦しいのは当たり前ですし そんなのは現役時代から分かっていたことじゃないのでしょうか? それを年金受給してから『年金だけでは生活がやっていけない』っていうのもな… しかし少し働いて給料を生活費に当てれば いわゆる『セミリタイア』の状態じゃないですかね? 図らずも現役時代は夢だったセミリタイアが老後になると手に入るわけですよ しかも年金さえ納めていれば誰だってこの『セミリタイア状態』になれる… 字面だけ見るとなんか凄い気がしなくもない… まあ私の思い描い...