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でも もしかしてこれって…

こんにちは ロンです! こんなに短期間で変わらなくても… 母が亡くなって そして今は娘も家を出て行った… しかしこんなことってあるんですね… 2月に入ってからガラリと状況が変わってしまった… ここまで変わってしまうのはまったく想像がつきませんでした こんなに密度を濃くしないで もう少し薄めてゆっくり状況変化してくれればよかったのに… まあこういう状況変化は自分ではコントロール出来ないことだからしょうがない… 人生ってドラマチックなもんですよ… なんて言う余裕はないんですけどね しかし状況整理してみると… そんなわけで今は嫁ちゃんと二人暮らし… しかしすごく違和感がある… なんせ今は4LDKに2人だけだし 我々夫婦は寝る部屋も別々なので夜は一階と二階に一人ずついるだけ… 住み慣れた家がずいぶんと広く感じるし よそよそしく感じる… 今は息子と娘の部屋の前を通り過ぎるのもためらわれます… やっぱりこの家の役目が終わってしまったような気がしますね… なにより家にある家電や食器棚などすべてが大きく感じる… まあ今まで家族4人住んでいたのが50代の夫婦だけになってしまえばすべてが大きすぎるし多すぎる… なによりメシの量がめちゃめちゃ減った… 私は一日一食… 嫁は一日三食を取りますけどしょせん50代の食事ですから量はそれほど多くはありません もう食材を使い切るのが大変になってきました 冷凍できるものはまだ良いのですが すぐに傷んでしまう野菜系はこのままでは消費しきれない… なにより前の日の晩飯も余るようになってきたし… 少し割高の少量に小分けしている野菜が売っている意味が初めて分かりました なにしろ嫁ちゃんも今の状況を見て『もっとモノを減らしても良いね…』なんて言い始めました 私はモノをそこまで所有するタイプではないですが 嫁ちゃんはモノを捨てられないタイプ… 私が『捨てろ〜』と言っても捨てられないのに自分から言い始めたので その心境の変化に驚きます 子供達が一人もいないことが思った以上に大きいと実感しています 我々も変わらなきゃいけないんですね… でもあまりの状況変化に心が付いてこない… しかし状況整理してみると… 母は亡くなり娘も家を出た… 母の介護もないし…老人ホームから電話も掛かってくることもない… 娘の服も洗濯しなくて良いし 弁当もメシも作る必要はない… (あれっ? こ...

『なにそれ…最低…』と言われました…

 こんにちは ロンです! 茫然自失… 娘は家を出て行った… 今は母を失くし…なんの変化もいらないっていうのに… 私にとってはいきなり居なくなったのでロスを通り越して茫然自失… 嫁ちゃんに聞いても『別に生きていてくれればなんでも良いよ〜』と全然私の言ってほしい言葉を言ってくれない… あまりにも楽観的すぎる… むしろ(この人何言ってんだ…)としか思えない… そして嫁ちゃんは普通に過ごし 普通に仕事に行っている… 今の私は『娘ロス』でソファにうずくまり…足の裏のゴッツい角質を取り除くキモい動画を見続けて現実から目を背けることしかできない… ちなみに私が早期退職する前にもこういったキモい動画を見て現実逃避していたもんです 自分の辛い時は現実を見ない!そして辛い状況を忘れるほどのキモいショッキングな動画を見る! 意外とこれが良いんですよ… ウフフ…(変態か…) 無職の悪いところ 娘が出て行った次の日は… 『ああ… 自分を育ててくれた母が亡くなって…自分が育ててきた娘が家を出て行った…』 『自分を産んでくれた母…自分たちが産んだ娘…大事な人を同時に失ってしまった…』 なんて感傷に浸っていたもんです… またこういう時にこういった言い回し方をしない方が良いっていうのに どうしても自分の心境に合った言葉を選び アタマの中で言葉を組み合わせてしまう… 自分の中の心境は自分が一番分かっていますからね… 自分で作ったポエムがドストライクで胸にぶっ刺さります… まあ人間悲しむ時は悲しんだ方が良いですが あまり考えすぎても辛いですからね… なによりこれじゃ苦しすぎるよ… もうオレ…日常に戻ろう… でもね…こういう時ってこの無職という属性が悪い方向に出るんですよ… 嫁ちゃんは悲しくとも辛くとも仕事がある 社会人になると仕事はいつまでも待っていてはくれない… 明日になれば仕事に行かなきゃいけないんですよ しかし私は無職…そして専業主夫なんかはいくらでも拒否することができる… これが良くない… こうなると嫁ちゃんが羨ましい… 私が無くて嫁ちゃんが有るもの… それは強制リセットボタンの有無なんですよ 彼女は時間が来れば必ずするべきことがある… 私も時間が来ればするべきことはありますが拒否権がある… こんな時に選択の自由があると反対にキツい… 人間はいつまでも自分に言い訳をして自分を甘やかします...

ハア… これ以上は勘弁してくれよ…

こんにちは ロンです! 今はなんの変化も求めていない… 母が亡くなり…私の生活の状況は一変しました… しばらくはなんの変化も求めていないし 少しは気持ちを落ち着かせる時間をくれ… 葬儀も終わり…そう思っていた矢先… さらに状況は変わってしまったんですよ… まあ母が入院していた時から同時進行していた問題だったんですけどね なので私は気持ちの整理が全然つかない… 今までも気持ちの整理がついていないのに さらに被せて来られた… しかし負の連鎖が止まんねぇな…  もうこれ以上は勘弁してくれよ… 今までのどんな時よりも気持ちが堕ちている… まだまだ堕ちきっていなかったんだな… もうちょっとタイミング選んでくれよ… 娘もひとり暮らしを前提に動いていましたが 最近は少し体調を落としてしまい ひとり暮らしも一旦棚上げしていました しかし今回の体調を崩していた療養中に 本人も思うところがあったのでしょう… 友達の家で居候というか… 今風に言うとルームシェアって言うんですかね…? 母の葬儀の次の日に娘が家を出て行ってしまった… 私はひとり暮らしは一旦棚上げだと思っていたんですけどね…  どうやら棚上げしてたのは私だけだったようです まあ本人の意思で出て行ったわけですし それ以上私がとやかく言うことでもないんですけどね しかし私になんの相談もナシに出て行ったので面食らった感じです…(ちなみに彼氏と同棲という訳ではない) 母親である嫁ちゃんとは連絡を取り合っていますが 元々私とはそんなに連絡を取り合うことはしていないというのもありますけどね それにしても相談ナシとは… まあ父親なんてこんなもんですよ…ハハハ…(自嘲的…) 私は母を失い…そして今また娘も家を去った… なにもこんな同時期に被せてくることないだろう…と思いますよ… もうちょっとタイミングを選んでくれよ… 娘が出て行った次の日は流石になにもできなかった… そして今もロスの真っ最中… 結構メンタル削られています… 私は息子が家を出て行った時もロスになってしまったくらいですし…  あの時だって『うわ~意外〜! ロスになってんだ〜』 そう嫁に言われてムカついたもんです… しかも今回は『私には』なんの相談もなく家を出て行ったので衝撃がデカすぎる…  しかし不思議と涙は出てこないんですよね… 息子の時は思い出すと結構涙が出たんですけどね… ...

感情をぶちまけて堕ち切ろう…

 こんにちは ロンです! 気持ちが戻ってこない 母の葬儀も終わり… とりあえず日常が帰ってきたはずですが… まだ私の気持ちが全然戻って来ません 大腸がんがリンパに転移していると分かってからは 毎週母を連れてドライブに行っていましたからね 今はもうそのドライブする相手はない… そして老人ホームからの電話も掛かってこない… すべて終わってしまった… やはり心にぽっかり穴が空いてしまったのですよ… まあ新しいルーティンを模索していかなきゃいけないんでしょうね… 泣かせてくれ! 私は自宅売却中… しかし私が専任媒介契約した不動産屋はやる気がまったく見えてこない… まあ私がメールをしても返信をろくすっぽできない不動産屋ですから 社会人としてもおかしいような気がします しかし今はこれで良い気がします 今はもう少し様子見というか平穏に暮らしたい… なによりこれ以上の変化はまだしたくないというのが本音ですね 私もそろそろ母のことで役所で年金やらの手続きをしないといけないですしね もうこれ以上余計なことを考えることはしたくない なので自宅売却も一旦は考えないようにしています まあ今の売値で家が売れてしまえばそれでも良いですし このまま売れなくても良い… そうなるとやる気のない不動産屋でちょうどいいとすら思えてくる… 先日も私は考え込み… 『ちゃんと自分の中で気持ちの整理できていないな…』と思いました やはり人間は気持ちの上で堕ちたりするものです 私の持論ですが その時に中途半端な堕ち方をするからいけない… 堕ちる時はしっかり堕ちることも必要なんですよ 堕ち切ってしまえば後は上がるだけ… 『よし…悲しみの感情をぶちまけて堕ち切ろう…』 泣くことにはデトックス効果があると聞いたこともあるし… 私はリビングに一人になったのを見計らい… 絶対に泣ける曲をチョイスして母を思い出し… 一人でボロボロ泣きました… 『今は堕ちろ!堕ちきってしまえ!』 しかし一曲も終わらない内に嫁が自分の部屋から出て来ました… 嫁:どしたの〜 悲しくなっちゃったの〜?(子供をあやすような言い方…) 私:…うっ うん…(コイツ…なんで来んねん…) 嫁:大丈夫だよ… アナタは良くやった… お母さんも絶対喜んでるよ… 私:うっ… うん… (いや…違うんだよ…これはデトックスでね…) 嫁:アナタが頑張ってきたのは知っ...

間違いだらけの葬儀屋選び…葬儀当日

こんにちは ロンです! たった10か月か… とりあえず葬儀屋との打ち合わせも終わり… その後は老人ホームに母の遺留分を取りに行きました 思えば去年の4月末に特養に入所したんですよね… まだ入所して10か月しか経っていない… その間には義母も亡くなりましたし 母も亡くなった… たった10か月間でしたけど色々ありましたね… 意外とせわしなく落ち着かない日々だったように感じます 最後まで私が送り出す 特養の方には亡くなった次の日の朝に電話をして その日の午後に遺留物を取りに行くと伝えました やはりいきなり行っては迷惑が掛かりますからね そして午後に施設に行ったら すでに母の遺留物は一階玄関ロビーに台車でまとめてありました 母の部屋にあったのは日常の着替えが入っている収納BOX2個とテレビ1台… そして歯ブラシや手鏡といった手提げバッグに入るくらいの日用品しかありません 以前住んでいた団地を引っ越す時にほぼ捨ててしまったので荷物と言えるものは少ない… まあ簡単と言えば簡単だし楽ですけどね… しかし呆気ない… ちゃちゃっと遺留物を車に乗せます… 車に荷物を乗せ終わったあとに施設の担当者と責任者に挨拶をして 退所の手続きも終わってしまったので拍子抜けしたくらいでした これでもう老人ホームから電話は掛かって来ることはない… もう終わったんだ… そして葬儀まで数日間は何も手につかず…家事すらもほぼしませんでした やはりポカンと心に穴が空いたような気がします… そして火葬式当日… この日は息子も帰省して姉夫婦と兄夫婦…そして私の子供を含めた孫たちと その孫の子供までの総勢15名程度集まりました(意外と多い…) 火葬時間がくれば待機時間も10分程度しかないし 本当に火葬式はあっけない… その10分間が最後のお別れになります 私はこの日のために母に写経を書いて来ました 今年に入り…あまり写経を書いていなかったので 中々書き上げるまでが大変でした… やっぱり写経も書いていないと文字を忘れちゃうんですよね… なにしろ一枚を書き上げるのに3時間くらい掛かるので 途中で誤字脱字をしたら水の泡… 流石に母の最後に誤字脱字した写経を持って行くのは気が引ける… 母が亡くなってからなんとか気力を振り絞り… 丁寧に写経を3枚を書き上げて一番出来の良かった一枚を母の棺に入れました ほぼなんにも無し無しの火葬...

間違いだらけの葬儀屋選び…

 こんにちは ロンです! 私のテーマではあった 母は亡くなりました でも意外とやり切った感はありますし あれ以上の対応は難しかったような気もします 後悔はない… しかし小さな悔いはある… しかし悔いというのは後から考えてみて 答えが分かっているからこそ感じるわけです その都度…自分なりの答えを出した結果の悔いであるならば仕方ないことだし 大きな後悔にはならない 母の介護に対しては後悔を残さないというのが私のテーマであったので そういう意味では自分でも良くやったと思いますね… 私がおかしいのでしょうか? 『もしよろしければ葬儀屋さんを紹介しますが…』 母が亡くなってすぐに病院の紹介というか… 病院に出入りしている葬儀屋に面会しました 誰かが病院で亡くなると 葬儀屋に連絡するという直通システムが出来てるんですよ なによりまだ母が亡くなってから1時間くらいですからね… 正直…葬儀屋なんかどうでもいい…(と思ったのはこの時だけだった…) そしてその後は医療スタッフと一緒に 亡くなったばかりの母のカラダを綺麗にしました アタマや腕などにお湯を掛けて シャンプーをしてから髪をドライヤーで乾かしたりして母の身なりを整えます 私も亡くなった母を自分で洗うことができて気持ちの上で区切りがつきました(もちろんギャン泣きしながら洗いました…) 母の病室が個室だったから付いてくるサービスなのか分かりませんが驚きましたね… 今思っても素晴らしいサービスでした そして病院から葬儀屋の車で母は安置所に移動します それを見送ってしまえば もう病院に居る必要はない… 私は病院を後にして家に帰りました… しかし危なかった… 私は母が亡くなった日の夜は 家に一時帰宅しようか迷っていたんですよ 私も自分をリセットする必要を感じていたし… でも母の病状がいつ悪くなるのか想像が付かなかったので 自分の中でもせめぎ合いがあった…  ただ母の病状が良くなることはない気はしていました 母が亡くなる数時間前に主治医から聞いた病状の説明や『本人が飲みたいなら水を飲んでもいい』と言った時の医師の発言が (本人が飲みたいなら飲ませてあげてもいい… もう治る見込みはないだろうし…)というようなニュアンスを感じ取ってしまったんですよね… なにより今回の肺炎が治ったとて 食欲はまったくないし ガンの痛みも出始めていた 私...

しかしつくづく自分勝手な介護だった

 こんにちは ロンです! ここから始まった 私は20年前くらいに今の家を買い 母を呼び寄せて同居をしました しかしそれは一瞬と言っていいほどの短い期間の同居でした 私も実家を出てから結婚して十年くらい経っていましたし そうなるといくら親と言えど生活スタイルが別物になっていました そこからの同居はどうにも折り合いが悪く 数カ月で同居を解消し母はひとり暮らしをしました… そしてそこから私は母と疎遠気味になります… どうにも『母を追い出して…母を見捨ててしまった』というという後ろめたさや自責の念に耐えられなかったのです そしてその後ろめたさは20年間変わりませんでした… なんだかんだ1年に1回くらいは会ってはいたので 人によってはそこまで疎遠ではなかったのかもしれませんけどね ただ『母を見捨ててしまった…』という後悔はいつまでも取り除けなかった… そして今から数年前… 母はひとり暮らしをするのが難しくなった… 私の介護はここから始まったのです 私は汚い男なんですよ… 母の介護を始めた時には私はすでに早期退職を目指していましたから 母の介護とパワハラ受けつつ仕事の両立が非常に高いハードルになっていた 正直…よくもまあここまで悪いことが重なるもんだ…と自分の運命が恨めしく思ったもんです… しかし しばらく経つと私は過去に母にしたことへの清算をするチャンスだと思いました 年老いた母が困っている今こそ私が手助けするのだ! むしろこの大変さこそが私の過去の後悔を洗い流してくれるように感じる そして今度こそ絶対に最後までやり遂げる!と心に誓いました しかしつくづく自分勝手な介護だったと思います… 母の介護をすることで自分も過去を清算して救われようとしていただけですし… 介護をしたところで過去にしたことが帳消しになることはない 本当に私は汚い男なんですよ… ただ最後に介護をしたことで私も救われたのは事実なんです 介護を始めると忙しいのですが しばらくすると私のライフワークのようになってきました 母は高齢だったしもう先は見えているので その時その時の瞬間を頑張れたし 大切に過ごすことも出来た なにより自分に掛かる負担が絶妙だった やはり介護とは距離感… すべて自分でやろうとせずに 頼るところは他者に頼り カネで解決出来ることはカネで解決した方がいい… もちろん誰しも介護が出来るわ...

ああ… 終わってしまった…

 こんにちは ロンです! やはり気持ちだけだったか… 十数滴の水を飲んだ母は気持ち悪くなって横になりました 少し呼吸も荒いようだし… やはり気持ちだけが飲みたいだけでカラダがついて行かないようです… 母は横になりそれ以来『水が飲みたい』とは言いませんでした しばらくして面会時間になり…姉夫婦が面会に来ました 昨日に引き続き 母は姉を認識しているような…していないような感じです やはり長年の間 姉は顔を出さなかったので母の理解が追いつかないみたいですね それでも自分の娘が来たことが母は嬉しいようです 私にとって姉夫婦の面会は地獄のような時間ですけど 母が喜ぶならなによりです ああ…(私は理解した…) しばらくすると母は『暑い…暑い…』と言って汗をかいてきました 熱は出ていないようですけれど 汗で髪の毛が濡れています 少し意識も混濁してきたし 言動もおかしくなってきました 言っていることは 昔の思い出話しのような…夢の中の出来事のような…不思議な感じです (熱の出始めなんだろうか…)と思っていましたが 『少し気持ち悪いしトイレ行きたい』と言い始めたので 医療スタッフを呼びました 医療スタッフが来て『ついでにオムツも着替えさせるので待合室で待っていて下さい 着替え終わったら呼びに行きます』と言われたので姉夫婦と共に 病室から30秒先にある待合室に移動しました ほんの少しの間でも病室を出たことで気が抜けてしまったんでしょう 私は一人椅子に座り… いつの間にか眠りこけていました ずっと寝不足ですし こんな待合室でも病室より静かですからね… なにより病室にいる時は母に気を取られて落ち着ける時間がない… やはり病室が一番寝れない… はっと目が覚め…スマホを見ると30分ほど眠りこけていました… 『あ〜 こんなに寝てたんだ… 意外とぐっすり眠れたな…』なんて思ってましたけど… しかしふと我に返り…『母の着替えにしては長い…長すぎる…』 嫌な予感がしたところでスマホが鳴ります… 私:はい…もしもし スタッフ:〇〇病院の者ですが… お母様が危険な状況ですので 今すぐ血縁関係の人に連絡して下さい  私:ああ~!!!? コイツ電話で何言ってんだ! オレは30秒もすれば病室に行ける距離だぞ! なんでもっと早くオレを病室に呼ばねんだ!!!(今思ってもムカつく電話だった…血縁関係呼べじゃね...

キレた…怒りの頂点

 こんにちは ロンです! 自分で自分が許せない 救急搬送されてパイプ椅子で一夜を過ごし…一般病棟の個室にエアベッドを広げて二日目が過ぎ…そして三日目の夜に突入です… 正直…私も疲れてきた… 病室は常に人が出入りして母に繋がれている機械も鳴り続ける… 全然寝れないし気の休まる時がない… 母も呼吸は苦しそうなではあるけれど 雑談をしたりもできるし 少し安心できる気もしてきます   (私自身もどこかで自分をリセットしないと潰れてしまう…) 着替えを持って来ていないので一度も服を変えていないし… なにより自分で自分の臭いが許せない 50代(無職)のおっさんが三日も風呂にも入らず熟成されてしまうとどうなるかは 皆さんだって分かると思います 決して美味しい生ハムにはならないんですよ(?) 私が動くたびに服の隙間から大型犬のような臭気が溢れ出る… クッ…クサい… クサすぎる… これじゃ消臭スプレー持ったミゲル君だって泣き出しますよ… もはや私は病院に居て良いレベルの人間ではないと思う… グッときた… 母は24時間 酸素マスクと点滴をしています 私も3日目ですが母も同じ3日目… 母も酸素マスクや点滴の針が鬱陶しいし なにより酸素マスクは口の中が乾く… 『水を飲みたい』としきりに訴えます… しかし老人の肺炎患者に水を与えることは病院側は慎重です 中々許可が出ない… そのため水で湿らしたスポンジや氷を口に含ませることしか出来ない… しかしそんなもので喉の乾きは癒えない… 私は水を飲みたい母に『ゴメンね…』と謝ることしかできない… そしてあまりの不快感に酸素マスクや点滴の針を自分で外してしまいます… しかし酸素マスクも点滴も母の生命線… 『お願いだから外さないで…』 私は何度も何度も母に注意しました しかし3日目の夜も1時間も経たずに何度も同じことをするので ついに私もアタマにきた… 『いい加減にしろ!! これとったらダメって言ってんだろ!!!』 私はキレた…  一番苦しいのが母なのは分かっていますが アタマにくるもんは仕方ない…  私だって人間です… 寝てない上に何度も注意しても外されたらアタマにきます そんなこんなで4日目の朝を迎えました… 母の状況は初日に救急搬送された時と比べると普通に会話できますが 数時間置きに苦しそうな時間があるしその繰り返しです (でも日中なら数時間...

私はモヤモヤが残るが…

 こんにちは ロンです! 地獄のような空気感… 救急搬送された当直の担当医が『今夜が山だ』と言うので その日の朝に私の兄姉に電話しました… その後のヤツらの面会時間は 初日は5時間ほどで次の日は2時間… まあ時間の長さはどうでもいいですが どちらの日も地獄のような空気感で一番キツい時間帯です 2日目はこの空気感にたまらず自分の夕飯を買いに売店に行きました どこかのタイミングで私も夕飯を買いに行かないといけないですしね ちなみに私は一日一食で夕飯を一回だけ食べるだけなので 今のところコンビニおにぎりとパンしか食べてません まあいつも自炊なので新鮮な感覚ではありますね まあいい…問題の本質はそこではない… 実際に今まであいつらが母に会っていたのかは全然知りませんが 介護する前には兄は私より母に会っていたと思います しかし介護が必要になってからは母の所に行くのはピタリと止まってしまったと思う… 姉は『運転免許がない』のを理由に全然会いに来ませんし 『運転免許がない』から介護も出来ないそうです… まあやらない理由なんかはいくらでも付けられますし そんな言い訳どうでもいいですけどね… なにより母は認知症… 昔のことは覚えているけど10年くらいのことはもうあんまり覚えてないし 10分前ことはもっと分からないです なので母は面会に来た兄の顔は分かりましたが もう何年も顔を出さないで 今は老人になってしまった姉の名前と顔が一致しない… 母にしてみれば姉の名を語る初老の女に見えるのでしょう… 『え〜と…アナタは誰だっけ?』と母は言って 姉は『え〜私だよ〜分かんない?』と取り繕っていたのは心の中で笑いました  悲劇的な状況は喜劇的ですが自業自得だっての! しかも帰り際は絶対に『だんだん顔色も良くなってきたしね〜』とか『昨日より呼吸が良くなっているね〜』というようなことをアピールして自分たちが帰る雰囲気を作るんですよ ただ帰りたいだけの発言なのでムカつきます(だいぶ私も心が狭くなっている…) まあ『昨日より顔色が悪くなってきたね〜』とか『昨日より呼吸が悪くなっているね〜』とか言って 帰路につくのも出来ないのは分かりますけど… しかし挙げ句に『面会時間は1時間という決まりなのに2時間もいるからもうヤバいよ〜』って言ってやがんですよ さも『面会時間1時間というルールを破り2時間も母親...